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2021年9月レター理事長挨拶

 奇しくも、過去の戦争と向きあう終戦記念日に、アフガニスタンの民主政権崩壊がニュースで伝えられました。アフガニスタンの戦況は、時折、新聞で目にしていましたが、まさかここまでの事態になっていたとは、と、驚きました。コロナとオリンピックに意識を持っていかれていた自分が情けなくなり、コロナとオリンピック以外には時間を割かないメディアに、危うさを感じました。児童虐待、民主主義の危機、温暖化などは、コロナによって消滅したわけではなく、むしろ悪化しています。平和の祭典であるはずのオリンピック中も、戦争は行われていました。自分や大切な人の命に直結するコロナに、意識が集中してしまうことは当たり前です。しかし、9月1日付上毛新聞で、唯一の邦人退避者となった安井さんの手記を読み、コロナ以外にも目を向けなければいけないと自戒しました。子どもたちを支援しながら20年過ごした国への想いと、アフガニスタン人の夫を残しての退避の辛さが胸に刺さります。文章の最後には「私が愛するアフガン。国際社会と日本は見捨てないでほしい。」と、記されていました。置き去りにされた500人の現地職員の方々のことも含め、見捨ててよいはずなどありません。アフガニスタンの件に限らず、無関心は独裁と暴力を増長させます。

 9月1日付の同じ新聞には、自民党総裁選をめぐる記事も掲載されています。臨時国会を開くことなく、権力闘争に力を注ぐ現政権には怒りさえ覚えます。アフガニスタンに平和をもたらすことなど私にはできませんが、選挙に行くことはできます。タリバンは選挙を「外国の操り人形になる道」と批判し、攻撃し続けました。もし20年前に、国際社会がタリバンの一部でも政党として選挙参加するよう説得できていたら、ここまで暴力的な展開にならなかっただろうとも言われています。アフガニスタンをはじめ、ミャンマー、香港を見ていると、選挙の効用とは、人命が失われることを防ぎ平和的に政権を変えることだと、改めて思わされます。
 もうすぐ来る、総選挙。自分が投票に行くのはもちろん、
まわりへも「選挙に行こうよ」と、呼びかけていきます。(後藤恵里子)