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オリンピックからもらったもの

異形のオリンピックが終わりました。開会式数週間前から閉会式に至るまで、日本の情勢は千変万化という言葉がぴったりでした。開幕直前のスタッフ辞任に、高視聴率の開会式。東京2020のメダルラッシュに呼応したかのように、新型コロナウイルスも感染ラッシュ。また「復興」から「安心・安全」まで、いくつもの言葉が虚しく消えていき、一方ではSNSでの誹謗中傷が選手を傷つけています。まさに世情も国民の心情も、日々、様々に移り変わっていきました。

かくいう私も、開催反対に署名していたにもかかわらず、開会式をためらいがちに見届けた後は、競技の観戦に後ろめたさを感じることはなくなっていました。だからといって、以前のように、日本選手の金メダルに熱狂することもできず、オリンピックの閉会にも寂しさを感じることはありません。むしろ「なんとか無事に終わってよかった」と、終了したことに喜びを感じざるを得ませんでした。

千変万化の東京2020により、国と国民の溝が明らかになり、神聖だと思い込んでいたオリンピックの概念も変わりました。同時に、LGBTQの選手参加や、亡命、人権侵害への抗議、そしてジェンダーギャップなど、日本人が見て見ぬふりをしていた問題が炙り出されたように思います。この問題に対峙することこそが、東京2020のレガシーになるのではないでしょうか。そのために、私は何をすべきなのか。無力だからと言って、最初から諦めてしまってよいのか…。東京2020からもらったものは、夢や感動よりも「向き合うべき課題」である気がしました。(後藤恵里子)