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モヤモヤするオリンピック開催

群馬県のコロナ感染状況に落ち着きが見られたことから、6月は定例会が開催できました。やはり、顔を見ながらの会議は良いものですね。梅雨のじめじめを吹き飛ばす、爽やかな一日となりました。

爽やかさとは裏腹に、モヤモヤとした気分になるのが、オリンピックです。私のパソコン・スマホのニュースプラットフォームにずらりと並ぶのは、オリンピック反対のネガティブな記事ばかり。中には「開催中にクラスターが発生し、スガよ思い知れ!」と、いった過激なものもあります。しかし、オリンピック賛成派のニューストップには「祝・開催決定!」といった記事が並んでいることでしょう。これは、私の属性を「オリンピック開催反対」とネット社会(Yahoo!やGoogle)が判定し、パーソナライズしたからです。個人の属性や行動履歴を吸い上げ、パーソナライズすることにより「反対の意見を持つ人」と、ネット上では交わることができなくなりつつあります。アメリカでは、このパーソナライズにより、国民の分断が進みました。日本でも、オリンピックを契機に国民の分断が進んでいくだろうと言われています。

こういった危機的状況の中「私は、私にとって心地よい情報だけを取り入れる」スタンスに甘んじていてはいけないと思うようになりました。男女別姓・男女共学に感情的に反対する意見や、LGBTQは生産性がないと意見にも、耳を傾けることが必要なのだと思うようになりました。リアルで意見を交わしても、交わることはないかもしれませんが、相違点や、妥協点、さらには私の思考の未熟な点を見出すことができるかもしれません。

オリンピックに関しても、開催が決まってしまったのならば、自分が共感できるところを見つけたいと思います。メディアによる、手のひら返しのオリンピック称賛には距離を置きつつも、アスリートと一般スタッフ、そしてボランティアの方々には、心からの拍手を送りたいです。断じて、クラスターの発生やイベントの失敗などは願ってはいけないと思います。

始まったからには、無事に終わって欲しい。この一言につきるオリンピックです。(後藤恵里子)